
こんにちは。
面倒くさがりの主婦です。
日々、苦手な家事に奮闘しながら生活しています。
2024年5月17日、
本日「共同親権」を認める法律の改正が認められました。
現在の制度では、
離婚後、父母のどちらか一方を親権者にすると規定しているが、それが新たに離婚時に父母が協議した上で「共同親権」か「単独親権」かを選ぶこととなります。
協議で折り合えない場合は家庭裁判所の判断となるそうです。
この問題ではDVや虐待のある家庭における危険性や、さまざまな状況の中でそもそもの父母の対等な話し合いが可能であるのか、などという懸念が問題視されてきました。
きっとこの改正された法律の元、今後色んな家族の状況を鑑みながら様々な結論を出していく。
その中で「共同親権」を選ぶことができて良かったね、ということもあれば、やはり懸念された問題が生じましたね、ということも起きてくると思います。
今後に注目したいと思います。
さて、ここからは親が離婚した子供の立場でのお話です。
私はDVや虐待を受けて育ってはいません。
ありきたりな理由でありきたりな離婚を両親がした。
たったこれだけの「よくある経験」をしてきた子供の立場でのお話です。
先に言っておきますが、
離婚が「悪だ」と言っている話ではありません。
離婚は夫婦の問題ですから、離婚した方が良いパターンがあるのももちろん知ってます。
うちの親も離婚が正解だったことでしょう。
離婚によって子供に与える影響の一つ、としてのお話だと思ってくださいね。
ここ数日、眠るたびに「父の夢」を見ます。
毎回泣いて目を覚まします。
寂しいのか、怒りなのかは自分でも分かりません。
私が7歳、小学校1年生の時に両親は離婚しました。
長女である母22歳、次男である父25歳は結婚後、母方の実家の近くのアパートで2人で生活を送っていました。
翌年兄が生まれ、その2年後に私が生まれました。
細かいタイミングは分かりませんが、経済的理由から両親と私たちは母の実家である祖父母宅で同居を開始。
私はこのタイミングを全く覚えておりません。
うっすらと自分が近所の乳児園に通っていた記憶があるので、恐らく2〜3歳の頃には同居をしていたと思います。
父は九州出身。
田舎には長男家族が父方の祖父母と暮らしていましたので自分の実家の近くにいる必要性はなかったのでしょう。
そんな父の趣味はパチンコ。
月のお小遣いをあげてもすぐにお金を使い切ってしまう。
父がお風呂に入っている間に母は財布を確認。
中にお金が無いことがわかれば「何かあると困るから」といつも追加のお金を黙って入れていたそうです。
『お父さんの仕事は?』と聞かれると
「えっと、、今は何のお仕事してたっけ?」と小学生の私たちでも分からなくなるほどに度々仕事を変える父。
経済的に厳しくなるのは想像も難くありません。
私が幼い頃、熱で寝込んでいる間家族のみんなは仕事へ。
その日休みだったのは父だけ。
そんな父に私を任せた日、祖父が仕事から帰ると私はひとりで寝ていたそうです。
父は熱を出している私を置いてパチンコに行っていました。
祖父は大激怒。
そりゃそうだ(^◇^;)
でも、私の父はそんな人なんです。
嫁側の父母(私にとっては祖父母)との同居で上手く生活できる、いわゆる「マスオさん的」な男性ってどのくらいいらっしゃるんでしょうか?
というか、
本当に何も不貞を犯さずに仲良くやれる男性って存在しますか?
私が男性を信用できない理由の一つでもありますが、
幼い頃、私は何回か父宛の『女性からの電話』をとったことがあります。
薄い記憶でしたが後々母に確認するとやはり父の浮気相手でした。
1回だけの軽い浮気だけならば、今でも私のそばに父はいたかもしれませんがそうでは無いということは、、お察しください^^;
母からも「は???」という様な父のあり得ない不貞の数々を私は聞いてきました。
同居後、父は仕事をしていましたが持って帰ってくるお金は少ない。
母は夕方からスーパーのレジ打ちのパートを始めました。
そのうち同じ夜の時間なら、とスナックでバイト。
そうなるとどんどんと夫婦の隙間は広がる一方。
最終的に2人は離婚。
離婚後、母は私と兄を部屋に呼び出し「お父さんと離婚した」ということを話して聞かせました。
その時は誰が悪い、という話は一切されませんでした。
小学3年生の兄は号泣。
その横で「離婚ってなんかドラマの話みたい」とよく状況の分からない私はニヤニヤ。
兄に笑うなっ!と殴られた思い出(^◇^;)
離婚後、父は車で20分ほどにあるアパートで一人暮らしを始めました。
1階に当時珍しいセブンイレブンが入っていたアパートでした。
しばらくの間、大体2週間に1回程度の間隔で週末に父のもとに遊びに行かせてもらいました。
その頃母は自分のスナックをオープンさせ、バブルのスナックは絶好調。
故に離婚時は養育費はいらないからさっさと縁を切りたい、こんな感じだったそうなので父からの養育費は一切貰っていません。
初めて父の家に行った日は母も一緒。
6畳程度の洋室に、キッチン、そしてトイレが一緒になった浴室。
そこに家族4人が入り、なんとなく母と父が元に戻ってくれるんじゃ無いかな、と期待した夜でした。
しかし、その日を最後に母は父の元へは付いてこなくなりました。
父に会う時は私たちが父に会いに行ってもいいか母にお伺いを立て、
許可が出たら私たちが父に電話をする。
父の都合が良ければ、父が実家に迎えに来てアパートに一晩泊まる。
こんな流れが半年くらい続いたでしょうか。
父が連れて行ってくれるところはいつも決まっていました。
ちょっとした遊具がある小さな寂れた遊園地。
そしてパチンコ。
子供をパチンコに連れていくことを許せない母は私たちを叱りました。
私たちはパチンコに行こうとする父に言います。
「お母さんがパチンコはダメって言ってたよ。」と。
2回ほど言うことを聞きましたかね。
そのあとは「黙っていればバレないから」と父は言い、私たちをパチンコへ連れていくのです。
パチンコで遊んで帰ると母に対する罪悪感で申し訳なくなるんですよね。
兄は進んで黙っていましたが、私は罪悪感に負けて正直に打ち明けてしまう。
そしてまた母は父に対して嫌悪感を抱く。
そんな風にして私の心はストレスを抱えていたんだと思います。
父の部屋には時々同僚の男性が遊びにきていました。
楽しいお兄ちゃんでした。
けれど父とそのお兄ちゃんが話す内容ってこんな感じ。
「あそこの歯医者行った?衛生士さんのおっぱいが顔に当たるんだよ。サイコーよ、マジで」みたいな。
それを聞いている「母に罪悪感を抱く私」はどんどん父に嫌悪感を抱くんです。
そんな日々を半年間続けてきたわけですが、
そのうち父が「今日は仕事があるから」とお泊まりの次の日の日曜日はどこにも連れ出さずに実家に連れて帰ることが多くなってきました。
泊まりに行っても電話がかかってくると、「明日はまた仕事が入ったから」と朝イチで実家に帰らされます。
そうなるとどんどんつまらなくなる、というか
寂しい。
兄はどう思っていたか分かりませんが、
『本当に仕事なのかな?私たちのことが面倒くさいだけなんじゃないの?』と小学生の私は感じていたんです。
結局父がアパートに住んでいたのって1年半くらいだったでしょうか?
父が九州の田舎に帰ることになりました。
思い出作り、と父は私と兄を連れて旅行へ出かけました。
行き先は覚えていません。
車で長い間ドライブし、歌を歌いながら楽しい時間を過ごしました。
ただ、その車の中で初めて父が話してくれた離婚の話。
父曰く、
「お母さんは自分のお店を持つのが夢だった。そこにお父さんとちょっと距離が空いてしまって上手くいかなくなった。」とのこと。
そして、
「〇〇(私)はお父さんのこと好きじゃなかったしな。お母さんのことの方がずっと大好きだったもんな。
お母さんのことよろしくな。」
って言ったんです。
お父さんのこと嫌いなんて思ったことありません。
保育園にバイクで迎えにきてくれる父。
こんなことほとんどありませんでしたが、何よりも自慢だったんです。
私の父との思い出は少ない。
母から聞いた話だと、幼い私は父が帰ってくるたびに玄関に迎えに行き、ジャンプして抱きついていたんだそうです。
それなのに父からのこの言葉。
小学生の私は悲しくて、
なぜそんなこと思われるのか分かりませんでした。
でも今思えば、何となくやっぱり母の肩を持っていたし、
お父さんよりお母さんが正しいって思っていた感情が隠しきれていなかったのかもしれませんね。
ただこの旅行での話をきっかけに
私はお父さんにはお父さんの、お母さんにはお母さんの考えと想いがあるんだろうと幼心に気付いたのです。
そして、二度と2人が元通りになることはないと初めて理解したのでした。
そして夜。
父はいつまで経ってもホテルに向かいません。
なんと、行き当たりばったりの父、泊まる宿を探していませんでした。
週末の夜8時に宿を探したって簡単に見つかるはずもありません。
何軒か公衆電話から電話をするも満室。
父は私たちに言いました。
「ラブホテルでもいいか?」と。
小学生2人をラブホテルに連れて行こうとする思考回路。
理解不能。
私は断固拒否。
この時の兄は覚えてません(笑)
とにかく私は断固拒否!!
そんな私を見かねて、駅前の大きく綺麗なちょっと高級そうなホテルに渋々電話をかける父。
「3人で3万円もした!」
と言われた金額までいまだに覚えています。
小さな狭い部屋でターミネーターの映画を見た記憶。
次の日は大きな遊園地に連れて行ってもらい遊びました。
そして父は九州の実家へ。
父と遊んでいてもなんとなくずっと寂しくて、
心のどこかで「私たちのことを面倒な存在と思ってる」と感じていて、
最後には遠いところへ行ってしまった父。
やっぱり結局私は寂しかった。
それでもやはり兄は父に会いたがりました。
九州の父に電話をしよう!と。
なぜだか母は私にだけ父の近況や父のそれまでの不貞の数々を話して聞かせていました。
九州に戻った父は再婚していました。
それを兄は知らない。
だから電話を何度もかけようとするんです。
なぜ母は兄に説明しなかったのでしょうか。
「お前がかけろ」っていつものように自分に勇気がいることや面倒なことは私に押し付ける兄。
父にはどうも子供がいるらしい、と知っていた私はどうしても電話をしたくなかった。
私たちの存在を忘れて新たな子供たちと新たな家庭を作っている父は、
もう私たちの父ではない、そんな風に感じていたので尚更です。
けれど暴君兄は諦めません。
母も同じ部屋にいるのに止めない。
今考えると母もどうなの?って感じですが
結局私が電話をかけることに。
数回鳴った呼び出し音の後、電話口から聞こえたのは幼い声。
咄嗟に「〇〇(父の下の名前)さんいらっしゃいますか?」と言う私。
幼い声は
「おと〜さ〜ん!でんわ〜!!」と離れていく。
私は胸が苦しくて仕方がありませんでした。
そんな流れを見ていた何も知らない兄は私にまたキレるのです。
「なんで自分のお父さんのこと名前で呼ぶんか!」と。
悔しくて悲しくて、それでも兄に本当のことを言えない悲しさに私は押しつぶされそうでした。
知ってる?
お父さん、もう私たちのお父さんじゃ無いんだよ。って、私は兄に言いたかった。
成長し、私が20歳になると九州の父方の祖母に母と会いに行きました。
母は父方の祖母が大好きでした。
いつも誰よりも優しいお姑さんだったそうです。
その時に祖母から聞いた話です。
父の再婚相手にはすでに息子さんが1人いました。
お互いに再婚同士だったのです。
(私の電話に出たのはその男の子)
そして、結婚後2人の双子の女の子が生まれた。
この双子には私は従兄弟の結婚式で会った事があります。
まともに顔も合わさないし、話しても無いけれど。
ですから父の新しい家庭での実の子は双子の女の子。
奥さんの連れ子は自分の子供では無いわけです。
その男の子が思春期を迎え、どうにも父と折り合いが悪い。
結局はその男の子だけが奥さん方の祖父母の家に引き取られたそうです。
どこまでいってもクズだな、と思いました。
正直、結婚が早かった分、私たちへ父親の自覚がなかったんだな、と思っていたんです、ずっと。
この頃の父は50に近い年齢。
いつまで中途半端なことやってんだって話です。
何があったのかは当事者じゃ無いので分かりませんが、
結局はその男の子のことも投げ出したってことでしょ、って思うんです。
奥さんも奥さんだなって感じですけど。
数年後、兄が結婚。
その1ヶ月後、私が結婚。
父は兄の結婚式の前日、兄に会いにきました。
前日なので私も実家に帰っていました。
父方の祖母を式に呼んでいたので父が祖母を連れてきたそのついでに3人でお茶をしました。
どんな話をしたのかさっぱり覚えていませんが、父はその時に兄にご祝儀を渡しました。
参列できない代わりに、と。
1ヶ月後、名古屋の式場で行われる私の結婚式に父方の祖母を連れてきてくれたのは
離婚した後もずっと関係が続いていた私の従姉妹とその両親。
(父以外めちゃくちゃいい人ばかりなんです)
式の前日、母の携帯に父から私へと連絡がありました。
電話口で父は言います。
「結婚おめでとう。お父さん何にもやってあげられなかったけど、こんなに立派に大きくなったのはきっと母さんやじいちゃんばあちゃんのおかげなんやろう。」と。
喉まで出ました。
「全くその通り!あなたからは何にもしてもらってない!!」って(^◇^;)
終始乾いた笑いしか出ない私は、悔しくて絶対泣いてたまるもんかと涙を堪えていました。
結婚式当日、式場には父からの贈り物が届いていました。
ナイキのタオルセット。約3000円相当。
なんでしょうか。
やっぱり男親は息子が可愛いんですか?
そんな風に思いましたけど、兄は悪く無いので
「どこまでいってもお父さんって馬鹿だな」と思ってました。
最近夢に父がでます。
泣いて泣いて目が覚めます。
寂しいのか、怒りなのか分かりません。
両親が離婚して、何が子供を一番に傷つけるのか。
DVや虐待ではない。
こんなによくあるありきたりな夫婦の離婚における話です。
私は結局
どちらか一方から愛情を受けられなくなることが子供を傷付けるんじゃ無いかと思っています。
何度も言いますが、ありきたりな両親の離婚での話です。
『父親の代わりに母親がそれ以上の愛情を』ってよく言いますが、やっぱりもらえるならば父親からも愛情は欲しい。
だって、そこにまだ存在してるんだし。
ひとりで耐える母親の手前、そんなこと言えないけれど。
自分は捨てられたんじゃない、
自分に興味がなくなったわけじゃないっていう自信が欲しい。
遠い知り合いの男性が言ってたんです。
『離婚したらもう子供は関係ない、きっと会うこともほとんどないだろう。
そうなると可愛いとか思わなくなるし、やっぱりそしたら興味も無くなって関係なくなるよね。』って。
本心か強がりかどうかは私には分かりませんでした。
けど、正直自分の父親を知っているからかそれが男の人の本心なのかな、って思ったんです。
少なくとも私の父はそうだったんだろうな、って。
子供と遊ぶのを課せられた義務とし、そのうち面倒で億劫になり、結局会わなくなって逃げる。
自分には都合の良い美味しいところだけあれば十分だから、
子供の教育にどう影響するか、とかお構いなしだし、結局は他人事。
こういうの子供って敏感に感じるんですよ。
私の父と母が離婚するときに「共同親権」が選べる状況だったらどうなっていたかな、と考えるんです。
「共同親権」って途中で親権の放棄ができるんでしょうか?
母は恐らく、自分の心は狭くないっていうアピールやプライドと、子供のためというのを大義名分として一度は「共同親権」を選ぶでしょう。
きっと父は初めこそなんとなく母の言う通り「共同親権」を選ぶものの、面倒くさくなって親権を放棄。
そして再度子供を傷付ける、そんな人間だろうなって思います。
結局今回もまた父は離婚したそうです。
子供達が傷付く事がありませんように。
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