ハピチわブログ

面倒くさがり屋の主婦です。チワワと楽しいことをたくさんしたい!そんなブログです。

『正欲』を読みました。夏月の存在感って大事。

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こんにちは。

面倒くさがりの主婦です。

日々、苦手な家事に奮闘しながら生活しています。

 

 

本日1月7日。

昨日七草粥のための七草を買いに行ったのに、余計なものだけ買って肝心の七草を書い忘れ、朝7時に夫に買いに行ってもらった私。

そういうこともあるよね!!😇

無病息災を願って美味しい七草粥をいただきました。

 

 

そして、

年末年始にかけて、色々やりたいこと読みたい本はあったのですが、結局本は1冊しか読めていない私😅

でもせっかくなので感想でも書こうかな。と思って朝から記事を書いています。

 

 

 

私の本の感想はこれまでの映画の感想と同じく、あらすじや登場人物など詳しいことは書きません。

自分が感じたこと印象に残った場面や文章をピックアップして書いていきたいと思います。

 

初めての本の感想なので温かい目で読んでください(笑)

またネタバレを含みますので未読の方はご注意ください。

 

 

 

『正欲』 朝井リョウ (新潮文庫

 

主な登場人物

・小学生の息子を持つ検事、啓善。息子(泰希)は不登校でユーチューバーを目指している。

・寝具売り場で働く女性、夏月。

・容姿コンプレックスを抱える大学生、八重子。

・夏月の中学時代の同級生、佳道。

・八重子と同じ大学に通う大也。

 

 

印象に残った文章

映画やドラマでは若い女子同士の関係を陰湿に描くものも多いが、二十歳を超えても尚異物を排除する力が強いのは圧倒的に男子のほうだ。男は、男であることから降りようとする男を許さない。嫌うでもなくハブるでもなく、許さないのだ。

 

あなたはいくら話してもわかってくれようとしないでしょう。早く学校に戻さないと何もかも手遅れになるって、そんなことばっかり言う人と話してたら泰希とずっと一緒にいる私も責められてる気持ちになる。

中略

あなたは少しでも考えたことがある?それがあなたに全然理解できないようなことでも、想像してみようとしたことがある?

中略

だけどあなたはわかんないって言わせてくれない。

中略

そうじゃないと私もう、あなたと一緒にいても心が追い詰められるだけなんだよ。

 

新潮文庫 朝井リョウ 『正欲』より

 

 

全体的な感想として、

多様性の尊重が声高に叫ばれるこの世の中で大きく考えさせられる内容でした。

本の帯に「読む前の自分には戻れない」とあるのですが、確かに戻れないかもしれない。

けれど、正直衝撃はあったもののそこまで「戻れない!」とも思えなかった。

なぜかというと、恐らくそこまで私の中に偏見がなかったから。

あまり書くとネタバレになってしまうので重要な部分は省きますが、なるほど、そういう世界もあるのか。

そういう世界で生きていることで苦しんでいる人もいるのか。

という衝撃はありました。新たな発見とでも言いましょうか。

 

いや、違うな。

多分自分も無意識に「こっち側」だとして安心しているから。

どこかで自分と遠く離れた問題だと思っているから大きな衝撃を受けていないのかもしれません。

 

 

ただ、なかなか衝撃的な内容だったのにあまり大きなダメージを受けなかったのは夏月がいることが大きな理由になっているかもしれない。

嫌悪感が緩和されているという意味です。

確かに男性だけに特化した性欲として描かれていると、これは性的な偏見かもしれませんが女の私からすると「男って・・・」となっていたかもしれない。

けれども女の夏月がいることでもっと身近なものとして想像ができた。

この辺りは朝井リョウさんの狙ったものかもしれませんが、もしそうであれば大きな効果だったのではないかと思いました。って偉そうに言ってみる(笑)

だって、絶対的にいるのといないのとではこの話の印象が違うから。

ただね、映画のキャストを知ってたので、ずっと夏月がガッキーでイメージされていたのは自分の中で良かったのか悪かったのか分かりません。

ガッキーは好きなんだけど、それを知らなかったら私はどんなイメージを持ったかな?というのが

気になります。

 

 

印象に残った文章についてですが、案外気付いていました。男の社会も相当なものだと。

事実、実際に行われるイジメも男性の方が激しかったりすることもありますし。ニュースになったりね。

 

女性はどちらかというと隠すようなことも、男性はコミュニケーションツールとして扱うことも多いのではないでしょうか。

そんなの同調なんて無理にする必要はないし、そういうのが苦手な人もいる。

けれど、こうした時に苦手な人はコミュニティから外されてしまうどころか、責められ、理由を聞かれ、あり得ないと批判される。

それなら興味がなくても興味のあるふりをするしかない。

結局そこに自由な思想はないのです。

って事だと解釈しました。

もちろん全ての男性に当てはまるとは思っておりません。

 

 

そして、後半の文章は検事である啓善の妻のセリフです。

なんていうのかなぁ。

わかる。すっごくわかる。

夫をこの記事で否定したいわけではないんです。

けれども男親だからこそ、という部分とでも言いましょうか。

 

同じ同性である息子に対してだからなのかもしれません。

ただ、自分とは違うんだよ?あなたの当たり前はこの子にとっては当たり前じゃないんだよ?ということはどの家庭にも存在するんじゃないでしょうか。

もしかしたら、反対に母親が娘に対してとる態度としてもあり得ることかもしれません。

 

「こうでなければならない」ということなんか無い、と頭ではわかっていても子供を心配するあまり「こうした方が良い」という言い方に変えてコントロールしようとする。

 

そして、子供が責められる=母親が責められていると感じる構図は特によくわかる。

親は対等であり、2人の子供なのになぜか母親はこう感じてしまう不思議。

自分が同じことを子供に言うくせに夫に子供が叱られているのを見るとイライラしちゃう現象(笑)

 

どちらにしても「想像すること」が重要なんです。

理解できない!と切ってしまうのではなく、想像する。理解できなくても想像する。話す、聞く。

難しいですけどね。

 

 

 

結局、この話を読み終わったところで私は登場人物たちの問題を解決する方法は見出せませんでした。

けれど、今回描かれているような、ある意味物体に魅力を見出す人は程度はどうあれたくさんいると思うんです。

その物体に特化した動画なり素材があっても何もおかしなことは無い。

けれどそれが性欲と結びつくからややこしく感じるだけで。

 

でもね、今のこの世の中でもこれだけ人の体を使った、あるいはモチーフにした性的な動画や素材がこんなにも簡単に見られてしまうのも実際どうなのかな?と思うのです。

それを不快に感じるのは間違いなのか?

不快に感じる人もいるのではないのか?と。

 

男だから女だからとか関係なく、これは一般的な性的対象物だからOK。

けど物体をそういう目で見るのは気持ち悪いからダメ。

っていう決め方は今の私ですら納得いかない。

だっていわゆる一般的な性的対象物ですら嫌悪感を抱く人はいるから。

 

それなら逆に物体のそういう素材があっても別に良いじゃん、みたいな。

どんな性的対象物にしてもそれが法の上に成り立っていて、そこに傷付く人や生き物がいなければ問題ないのではないか。

要は「それが法の上に成り立つかどうか」で判断すれば良くて、周りに迷惑かけてないなら自分で楽しむだけなら何も問題ないんだから周りがつべこべ言うなって話です。

 

 

いつだったかで見かけたんです。

歳をとると新しいものが分からなくなるのではなく、自分が理解できないものを否定しているだけって。

 

世の中理解できないものに溢れているんです。その事を忘れてはいけない。それが全ての人に当てはまるという自分の常識を押し付けるのは傲慢以外のなにものでもない、と感じました。

 

とはいえ、私もそんな傲慢な人間の1人だな、と反省するのでした。

 

最後の解説にもありますが、解説者の方が「この本の解説は私には『手にあまる』」と表現されています。

本当にそれ。

結局のところ「こう思う」も「こうだろう」もこっち側にいる人間だからだと言われてしまえばそれまで。

こっち側、あっち側と決めてしまうのはこの本の中に対岸という表現があるからだけれど、事実自分がどっち側かなんて意識したことがない、ということ自体が『正欲』の中ではこっち側なのだから。

 

世の中には自分が知っていること以外の世界が宇宙のように広がっている。

自分をこっち側と思って安心するな。

こっち側だから正しい、なんてことで思考を止めるな。

今あること、今見えること、それを全てと思うな。

 

考えて考えて考え続けることしかできないな、そんな風に感じる作品でした。

 

 

 

 

 

 

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