こんにちは。
面倒くさがりの主婦です。
日々、苦手な家事に奮闘しながら生活しています。
先日、ふとした事から100記事更新していることに気付いた私ですが、
まだどんな方向性のブログにするか定まっておりません😅
ただ、何となく書きたい記事の種類は自分で分かってきたかなぁ、というところ。
これを雑記ブログのままにするのか、それとも好きな事だけピックアップした記事にするのかはとりあえず今のところ現実的には考えておりません。
とにかくもう少しアクセス数を増やしてからだな、とは思っています。
ところで、こんな私は普段から色々考えることが好きです。
最近ではこんな風にブログとして表現できる事をとても嬉しく思っているのですが、
年明けに氏神様にお参りに行ったときのこと。
生まれも育ちも違えば、三重県なんて何の関わりも無かった私。
それどころか三重県といえば「津」。
県庁所在地が一文字、という小学生の頃に習った事だけなぜか頭に残っていて、地理音痴の私は松坂牛も鈴鹿サーキットも伊勢神宮も三重県にあるなんて1つも知りませんでした😅
なのに、三重県のこんな田舎の道を家族と歩いている。
道端の草も野良猫も、通りすがりのどこかのおばあちゃんも、私がここにお嫁に来なければきっと一生見る事のない景色だったな。それどころか、夫と出会わなければ、私が上京しなければ、絶対に有り得ない光景だったろうなと思ったのです。
「思ったのです。」
というより、子供の頃からいつもこんな風に考えているのです。
例えば、
遠足で遠くの公園まで歩く。
いつもは車で移動する道を徒歩で。小学生の私にはとってもキツいその行程。
気付けばずっと下を向いて歩いている。
そこで目に入る道端の草。
犬のフン。
タバコの吸い殻。
沖縄のさとうきび畑も北海道は登別の鬼も、山手線から見える風景もそう。
その時その時で自分がそれを選択しなければ見ることのない景色だったかもしれない。
今日は飲み過ぎたから一駅歩こうか、なんてことは都会にいると度々あることでしたが、そんなささいな選択も、それが無ければきっとこの道を徒歩で移動することはないし、そこにある小さなお店も見つけることは無かった。
そんな経験みなさんも少なからずあるのではないでしょうか。
子供の頃の自分が、まさかこの土地のこの道端の草を見てるなんて思いもしなかっただろうなっていう事を度々考えるんです。
なんか、全てが奇跡だなと。
別に道端の草が美しいわけでも、アスファルトの道が虹色なわけでも犬のフンが黄金に輝いているわけでもありません(笑)
ただ、なんとなくそう感じるんです。
ここ最近更新を楽しみにしているブログ、旅するCrosscubさんの記事。
言葉も通じない外国を一人旅されている様子が面白おかしく、とても楽しい文章で綴られています。
私はきっとこの先もベトナムに行くことは無いと思います。
(私は好奇心旺盛なので一度は行ってみたいですけどね。夫が日本大好きなもので、きっと行く機会はないでしょう😅あと私はお腹が弱いから無事旅行を終える自信がないっていうのもありますが😅)
けれど、こちらのブログでは私が一生踏み入れる事のない、一生実物を見る事のないであろう道端の草や棚田や現地の人の日常が画面越しではありますが見る事ができます。(ベトナムの牛の💩もね)
みなさんは考えたことありませんか?
この道、この風景を見ているのはこれまでの自分の選択の結果であり奇跡に近い事だということを。
旅するCrosscubさんの見ている景色も、旅するCrosscubさんが選択をしていなければ見れない景色。
そう考えると、日常のささいな風景も尊く、美しく見えてきませんか?
こんな私を友達は大袈裟だな、とか詩人だね、とか茶化してきますが、
私はこの自分の感性は嫌いではありません。
全ては当たり前ではない。
そんな風にこれからも日々を大事に過ごしていきたい、と思っています。
なんて、
ちょっとポエミーでしたね🤭
私も性格新聞やってこよ〜っと💨笑
あ、性格新聞については三毛猫三世さんの記事に書かれてありますよ☺️
(お二方とも、勝手に言及させていただいております。申し訳ございません。不都合等ありましたら早急に削除させていただきます!)
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最後までお読みいただきありがとうございました!