こんにちは。
面倒くさがりの主婦です。
日々、苦手な家事に奮闘しながら生活しています。
昨日、子供達の体育祭に行ってきました。
中高生になっても親が見学?と初めは思っていましたが、
行ってみると毎回のように「来年も観にこよう」って感じられる体育祭なんです。
我が家の子供達は中高一貫校に通っています。
そのため、高等部と中等部の体育祭が同じ。
6学年全員が揃っての体育祭です。
それぞれのチームは6学年全てが混ざったもの。
種目によっては中等部、高等部、別で行うものもありますが、
リレーや障害物競走なんかはそれぞれの学年から希望制で数人の代表者が参加する、学年も男女も混合になったもの。
大体の種目は中等部からスタート。
タスキがどんどんと高学年に向けて手渡されます。
レースが進むにつれて中学生から高校生へと変わっていく、その迫力。
種目ひとつひとつの迫力がやはり中学生と高校生では雲泥の差。
そして6年生にとってはこれが最後のイベント。
この後は大学受験に向けて意識も学校生活も全シフトします。
ですから6年生の気迫の次元が違う。
そしてなんと言ってもこの学校の体育祭は本当に自由。
何が自由かと言いますと、全てにおいて生徒が主体。
企画も種目も、実行委員も全て生徒が主体。
借り物競走ではお題に「好きな人」が入っていたり、
担任の先生も交えて一生懸命に競技をしたり。
公立の普通の学校に通っていた私からしたらあり得ないお題ですし、
競技だけでなく、選手宣誓一つとっても「いかに面白くアピールするか」をテーマにチームワークとやる気を見せつける。
それがまた見ているこちらも楽しくなるほどに。
何よりも校長先生がそれらを毎年楽しみに喜んで見ているということにも驚き(笑)
中でも借り物競走で「今一番、伝えたいことのある人」をお題に引いた6年生の男の子が連れてきたのは・・・
なんと同じ学年の男の子。
「何を伝えたいのか?」聞かれたところ、
「いつも遊んでくれてありがとう」と答え、男の子2人は熱い抱擁。
高校3年生の男の子の友情、
「あなたを『良いな』と思っています」と恥ずかしながら伝える淡い恋心、
「本当はずっと好きでした」と仕舞い込んでいた想いを伝える終わってしまった恋、
そういうものに体育祭の熱気と、30度を超す気温とにさらされてアドレナリンの出まくっている彼らは、大きな歓声を上げるんです。
そしてそれは中等部の子達も校長先生もそして保護者までも巻き込んで「THE・青春」の渦に巻き込んでいく。
声を枯らしながら大きな声で学年問わずに全身全霊で応援し、
中等部が負ければ、それなら高等部で盛り返そう!といつも以上に頑張る気迫。
中等部の子が走れば大きな声で喜び、励まし、重たい旗を振りまくる。
お互いの流れる大量の汗なんて関係なく肩を組み喜び合う。
そんな彼らに私のようなおばちゃんは、涙を堪えることに精一杯なのです(笑)
私の高校生の頃の体育祭といえば、
全て先生が決め、指導し、どれだけ皆が綺麗に揃うかだけを大事にし、
他の科の男子から応援されれば「チャラチャラするな」と怒られ、
逆に応援しても「真剣にやりなさい」と咎められる。
勝ち負け?そんなこと全く気にもしたことありません(^◇^;)
体育祭なんて面倒くさい以外の何ものでもなかった。
そんな私は彼らを見ていて思うのです。
「子供には自由がいかに大切か。
自由には責任がともなうけれども、その自由の先で得られるものを知る彼らは、その自由を失ってしまうことのないように考え、工夫し、責任を持ち、仕事を全うさせる。
そして、その彼らの弾けるような楽しさに後輩たちは『自分もあんなふうになりたい』と憧れ、まるで青春のタスキのようにそれを繋げていくのだろう」
きっとフィールドにいる彼らは自分たちのことしか見えていないと思います。
この「THE・青春」の一瞬一瞬がもう二度と戻ってくることのない時間だったなんて気付くのはきっともっと後のことになるのでしょう。
けれど、この熱気とこの熱い想いを胸に大きく羽ばたく大人になって欲しいなと思うのです☺️
日本の未来は、案外明るいのかもしれない(*´꒳`*)
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