こんにちは。
面倒くさがりの主婦です。
日々、苦手な家事に奮闘しながら生活しています。
先日ヤングば〜ばさんの記事を読んで子供の頃のことを思い出しました。
私は地元の公立小学校、中学校に通っていました。
公立ですので、小学校の同級生は大体がみな同じ中学校に進みます。
その中の1人にダウン症の男の子がいました。
マンモス校でしたので、全員の名前は到底覚えてませんでしたが、
彼が私の記憶にあるのは小学校4年生の時、通常学級として一緒のクラスになってからです。
私の記憶のままお話しますと、
そのダウン症の男の子は
話せない、
集団行動が出来ない、
もちろん机に座って勉強もしない。
常に教室の1番前の椅子、または床に座り込み自分の時間を過ごしている。
お絵描きをするでもなく、
「ただ座って自分の時間を過ごしている」だけ。
けれど、彼はいつもニコニコしていました。
ニコニコ、ニコニコして
頭を傾げたり、急に笑ったり、立ち上がってみたり、座ってみたり。
そんな風にして通常学級の一員として彼は存在していました。
体育や運動会などみんなで行う行動は担任に手を引かれてただ付いて行くだけ。
徒競走も徒競走の認識があるのかどうかも分かりません。
ただ、担任に手を引かれてゴールまで走る。
ダンスも担任に手を引かれて移動するだけ。
そんな風に学校生活を送っていきます。
高学年になり、自然と彼のお世話をするクラスメイトが出てきました。
それまで担任がやっていた事をクラスメイトの男子が行うのです。
おトイレに連れて行ったり、着替えさせたり。
でもその他は「お世話」というものではありません。
友達、クラスメイト、親友、
そんな感じで当たり前のように常に彼の周りには友人達が集っていました。
中学生になりました。
彼は小学校の時と同じように通常学級に在籍し、1日を過ごしていました。
ある日、近所に彼が引っ越して来た事を知りました。
新築の家を建てるまでの仮住まいとして引っ越してきたのです。
それまで同じクラスだったにも関わらず、中心となってお世話をする友人達の周りになんとなくいるだけで間接的にしか関わりが無かった私が、
家が近所になったこと、
彼のお世話をしていた女子の1人もまた近所だった事を機に登下校を一緒にするようになりました。
そのうち彼のお家に遊びに行くことも出てきました。
彼は2人の妹、明るく元気なお母さん、いつもお仕事で昼間は不在の物静かなお父さんと一緒に住んでいました。
私は明るく元気な彼のお母さんとお喋りする事が大好きで、
これまた明るく元気な妹2人と彼のお世話をする友人達といつの間にかお茶をしながら夕方暗くなるまでお喋りをして過ごすようになっていました。
正直、心から親身に彼の世話をしていたかどうか自分では分かりません。
彼とは会話が出来ないからです。
だけど友人は当たり前のようにいつも彼に話しかけていました。
ある日彼が下校中に泣いていました。
涙が出るばかりで何が悲しいのかもわかりません。
急いで彼の家に帰ると、どうやらお腹が痛かったようで、お母さんはすぐにお手洗いに連れて行きました。
友人は彼と会話が成り立たないのに何となく嬉しいのか、辛いのかは分かるんです。
凄いな、と思いました。
やはり私は『お世話をする友人達の後ろにいた』というだけの存在だったんだと思います。
小学校も中学校も支援級というものがありました。
そこに通う生徒も数人いました。
思い返せば、私の記憶にある限りダウン症の子が同級生として通常学級に在籍していたのは彼だけだった気がします。
だけど、
「どうして支援級じゃないんだろう?」
という疑問は抱いた事がありません。
気付いた時にはクラスメイトとして彼はいたからです。
男子も女子も先生もみんなが彼を見守っていました。
やはり、率先してお世話する子は決まっています。
でも、常にみんなが見守っていたのです。
私たちの中学校は1学年で250人ほどの生徒がいました。
中学校に上がるタイミングで他の学校区からの生徒も混じりました。
その子たちにとってはダウン症の子が通常学級にいることが不思議だったかもしれません。
戸惑っている子もいたかもしれません。
けれど、私たちの学校区では当たり前でした。
当たり前にしてるから、そのうち他の学校区の子達にとっても当たり前となりました。
ただ、親は違ったようです。
私の母のことではありません。
中にはなぜ支援級ではないのか、という他の保護者からの意見があったと母から卒業後に聞きました。
中学校の卒業式後、学年全員に彼のお母さんから手紙が配られました。
コピーではありますが、全員分を1通1通封筒に入れて、卒業生とその保護者宛に配られたわけです。
卒業式が終わり、帰宅後母がその手紙を読みました。
泣いていました。
「あんた達は本当に良い子ばかりだった」と泣いていました。
そして、彼のお母さんの事を「強くて立派なお母さんだ」と言ってまた泣いていました。
手紙は大体こんな内容でした。
「息子はダウン症です。
小学校の入学前、色んな想いを抱いていました。(詳しくは忘れましたが通常学級に入れたい希望やその理由も書いてありました。)
親子で事前に学校に挨拶に伺う事になりました。
ちょうど下校時間に小さな息子の手を引き通学路を通り、小学校まで向かっていました。
その時、向かいからランドセルを背負った女の子二人組が歩いてきました。
私たちを見て、何やらコソコソ話をしている。
「失礼な子だ!」と内心腹を立てていました。
すれ違いざま、「可愛いね〜」と聞こえてきました。
あぁ、息子の事を誰よりもネガティブな気持ちで見ているのは母である自分だ、と初めて気付きました。
様々なご意見があったと思います。
本来ならば支援級に通うべき息子を同じクラスメイトとして通常学級で過ごす事を許してくださりありがとうございました。」
と、同級生の私たちとその親である保護者へ向けた感謝の気持ちとお母さんの正直な想いが数枚に渡って書いてありました。
この手紙を読んでもあの頃の私には正直ピンと来ていませんでした。
だってあまりに普通の事だったからです。
数年後、社会人になった私は買い物中に彼のお母さんに偶然遭遇。
向こうから声をかけてくださったのです。
彼のお母さんは私と私の母をしっかりと覚えてくださっていました。
その時私は20代。
ダウン症の彼は相変わらず元気に過ごしているという事でした。
一般的にダウン症の子は先天性の病気を抱えている事が多い事を私は知っていたので、その知らせを聞いて本当に嬉しく思いました。
あれから20年。
元気にしているかな??
元気にしていると良いな☺️
先ほど、「なぜ支援級ではないのか?」という疑問を持ったことはない、と書きましたが間違いでした。
そういえば一度だけ彼のお母さんに聞いてみたことがあります。
これは私にとってはとても単純な質問でした。
だけど彼のお母さんとの関係性を築いた上での質問だったと自覚しています。
『なぜ彼は支援級ではないのか』
この質問に対して、彼のお母さんはこう答えました。
「どうして支援級じゃないといけないの?」と。
私は単純に、ダウン症の子は支援級に行くものだ、と理由なく考えていました。
ただ、そういうものだ、と。
けれど彼のお母さんはどうしてダウン症だからといって支援級でなければいけないのか、という考えでした。
「確かにね。そりゃそうだね。」
そんな感じでサクッと納得した私はまたいつものお喋りに戻ったのでした。
この話を書く事で、何を伝えたいのか正直自分でもわかりません。
ただ、こういう事があったんだよ。
って話したくなっただけです^ - ^
最後まで読んでいただき、どうもありがとうございました♪