こんにちは。
面倒くさがりの主婦です。
日々、苦手な家事に奮闘しながら生活しています。
先日のtamozoさんの記事を読んで改めて考えたこと。
2023年の大晦日、私の祖父が亡くなりました。92歳でした。
mendokusainoyada.hatenablog.com
2023年の10月、急な腹痛と脂汗で総合病院に救急搬送されたことをきっかけに大腸癌が発覚。
年齢も年齢でしたので積極的な治療はせず緩和ケアを希望しました。
排泄をするための目的だけでとりあえず人工肛門の手術を受けました。
高齢者ではよくある流れですが全身麻酔の手術後は認知症が進む確率が高くなります。
早々に目覚めて動き出すことができれば良いのですが、元々酷い難聴で軽い認知症も入っていた祖父はそのまま寝たきり。
目が覚めても認知症の影響で結局意識がはっきりとすることは少ないままでした。
術後、感染や何やらと問題はあったものの人工肛門の増設さえすればあとは緩和ケアに入ります。
地元にはホスピスもあったものの高額であること、自宅から遠く母がなかなか通えないこともあり自宅の近くの痛みのコントロールができる大きな個人病院に転院しました。
その際、初めの入院先である総合病院の医師からは余命2ヶ月。早いと1ヶ月。と言われていました。
転院する当日、外に出たからなのか分かりませんが、なぜか術後初めて祖父の意識がはっきりしていたそうです。
その証拠に私にビデオ通話をしてきて、私の顔を見ながら会話をしています。
そんな様子を見ていた転院先の個人病院の院長に
「元気だね!これもしかしたらもうちょっと元気に長生きできるかもしれないよ!?様子見てご飯を食べる練習しようか!」
と提案されたそうです。
もちろん紹介状を持っていますし、転院前の段取りで祖父の状態は相手方にしっかり情報伝達されている上で、です。
実際にその様子を見ていたわけではありませんし、専門知識もない母と叔母が聞いた話ですのでズレがあるかもしれませんが、
要は『余命1ヶ月と宣告された祖父の余命はもう少し長くなりそうだ。だから回復に向けて訓練しよう!』ということでした。
その話を聞いた際、母は混乱しました。
92歳です。今亡くなったとしても大往生。
治療ではないにしても積極的な「何か」をしても良いものなのか?
食事訓練は「積極的な延命治療」にはならないのか?と。
反対に叔母は「なんて良いお医者さんなんだ!」と希望を持ったそうです。
祖父の状態は日々、時間単位で変わっていました。
昨日ははっきりしていたのに今日は全く目を開けない。
そんな感じ。
そうなると結局ゼリーが食べられたり、食べられなかったり程度の食事になったようで、そのうち、全く食事が喉を通らなくなりました。
体に入れているのは点滴のみ。
点滴のみでも人は数ヶ月は生きていられます。
けれど栄養は足りませんので口から食べる以外の方法で栄養を入れなければいけません。
ではどうするか。
お腹に穴をあけ、直接胃に栄養を送り込む胃瘻を作る。
または鼻から管を入れて胃に栄養を送り込む。
でも、、
胃瘻を作るということは積極的な延命につながります。
永遠に栄養は入れられるわけです。
寝たきりでも病気が進行しない限りは生きられる。
ということは「死ねない」ということ。
ですから胃瘻は断りました。
もちろん母と叔母が相談した上で、です。
でもこの選択も、ここ最近の「高齢者の延命治療と胃瘻について」の知識を母と叔母も多少なりとも持っていたからの判断です。
代わりに迷いながらもとりあえず経鼻チューブを選択。
そうして経鼻チューブを挿入したものの残念ながら祖父には合わなかったようですぐに抜去される結果となりました。
残す方法は中心静脈栄養。
心臓近くの大きな血管に管を通し、高カロリーの輸液を行う方法です。
ここで母は悩みました。
結局栄養を入れるという意味では胃瘻と同じことだからです。
けれど祖父は生きている。
食べられないなら栄養を何処かで入れなければならない。
さらに院長と師長さんに言われたそうです。
「栄養を入れないと死にますよ。このまま何もせずにいたら死にますよ!」と
強めに。
延命治療とは
延命治療(えんめいちりょう)とは、回復の見込みの無い人に対する延命だけを目的とした医療行為である。延命処置ともいう。生命予後不良で経口栄養摂取出来なくなった患者に対する経管栄養や点滴、人工呼吸器のこと。
『延命治療とは?』
それを考えるとこの経管栄養だって入ります。
でもこれをしないと死ぬ。
しない選択は殺人と一緒なのだろうか。
祖父は生きている。
総合病院では余命1ヶ月と言われた祖父がこの病院では自力で食べる訓練を手配され、今では死なないための方法を探されている。
結局祖父はまだまだ生きられるのか?
苦しんでいるのか?
それともやはりあと少しの命なのか?
母にも私にも分かりませんでした。
なぜならばそこのお医者さんは祖父に希望を持つような話し方をされるからです。
だからどこに意識を持っていけば良いのか分からない。
そんな時、叔母が言いました。
「死ぬことばかり考えないで死ぬギリギリまで生きさせてあげる考え方をしようよ」と。
何が正解かなんて分かりません。
ただ、私も母もとにかく祖父には苦しまないでほしいだけだったから。
痛くない、苦しくないならそれで良かったから。
もし祖父が苦しくて辛くて早く死んでしまいたいと思っているのならそうしてあげたいと思っていたから。
家族でも考え方は異なります。
叔母はホスピスが良かったそうです。
でも実際に毎日通うのは母。
これまでずっと一緒に暮らしてきたのも母。
でも母には強さがない。
決断力もない。
叔母も正しい。
叔母はいつも前を向いて後ろを振り返らない強さがあります。
そもそも生き方も違うんです。
今考えると、「看取り」という意味でプロフェッショナルであるホスピスにいた方が私たちがわからなくて不安なままに決めてしまうことも少なくて楽だったかもしれません。
「延命治療はしないよ。」
「うん、しなくて良いよ。」
こんな会話は数え切れないほどにしてきました。
でも実際にその時になると、どこまでが延命治療なのか、どこまですべきなのか私たちは分からないのです。
医者に必要だと言われたらそのようにしますし、
医者が希望を抱かせれば希望を持った選択をします。
反対に余命が短いと宣告されれば、祖父の穏やかな死を願った選択をします。
結局、分からないままに悩んで悩んで悩んだまま12月31日大晦日に亡くなりました。
救急搬送されて約1ヶ月半の出来事でした。
今になって色々考えます。
でも結局正解がわからないんです。
ホスピスを選択すれば丸く治ったかもしれない。
でも金銭的余裕もなければ体力もない。
ですから個人病院の選択は致し方なかった。
けれど個人病院だからこそ実はこうだったんじゃないのかな、なんて思惑や何やらを考えずにもいられない。
生きている長い間あれだけ考えていた人生の終わり方も結局は「その瞬間になってみないとわからない」ことってたくさんありました。
私たちの1つの経験談として、ここに残します。
最後までお読みいただきありがとうございました!