こんにちは。
面倒くさがりの主婦です。
日々、苦手な家事に奮闘しながら生活しています。
被災された皆様、ご無事でしょうか。
昨日、家族でお正月の夕食をとろうと乾杯をした時でした。
テレビの地震速報。
「どこ?北陸??」とテレビに映し出される表示を見ていたら
テレビには東海との表示が追加され、ホルダーにぶら下げているワイングラスがカチャンカチャンと揺れ出しました。
震度3。
こんなに長い長い地震は初めてかもしれません。
終わった?と思ったらまだ続く。きっと時間的にはそこまでなのかもしれませんが体感はとても長く感じ、とても怖かったです。
震度3でもこの恐怖。
夜通し続いている余震や火災に、被災された方々は大変な恐怖と不安からいっときも逃れることができないでいらっしゃると思います。
どうかどうか、少しでも心休まることができますように、そして少しでも早く平穏無事な日常を取り戻すことができますよう、心よりお祈り申し上げます。
そして、
私自身のお話を少しさせていただきます。
12月31日、あと2時間で年を越そうという頃、祖父がこの世を去りました。
92歳でした。大往生です。
体力は落ちてきていたものの10月までは元気に自宅で生活していました。
ある日急激な腹痛で運ばれたことをきっかけに大腸癌が発覚。
手術も抗がん剤治療も耐えうる年齢ではないため、そのまま痛みを軽減して過ごしてくれれば、とずっと入院生活を送っていました。
認知症が進み、11月に一時的に帰省した時には私のことも分からなくなっていました。
しかし、12月に入って慢性期の病院に転院したことをきっかけに若干意識がはっきりしてきました。
母がビデオ通話を繋げてくれ、祖父と話をしました。
祖父は耳が特別遠いので私の声は聞こえません。
けれども祖父は私の名前を呼び、苦悶の表情で
「じいちゃんのことは何にも心配せんでえーからの。子供達のことをしっかりしてやれ。もうじいちゃんはえーから、子供達をしっかり育てーよ。」と言ってくれました。
私は泣くのが苦手です。
シリアスな場面が嫌い。
だからその時も半分笑いながら「わかったよー」と返事をしました。
そして、本日。
祖父の告別式。
本当ならば告別式だけでも新幹線で帰ろうと思っていました。
けれども1日の夜お通夜、そして今日の朝イチで告別式という急な予定に新幹線は間に合わず、
そして大きな地震。結局家族を置いて帰ることもできず、私は三重県の自宅でこの記事を書いています。
普通に年末年始の準備をしていたのでお寿司もおせちもあります。
勿体無いので食べています。
こんなこと、気にしないですけどね、私のこと大好きですから、じいちゃんは。
両親が離婚して母はスナックを経営、父親も不在の私と兄の世話をしてくれたのは母方の祖父母。
昼間寝ている母の代わりに子供会の行事に参加したり、お祭りの送り迎えをしてくれたり。
部活も、塾も少しでも暗いと心配だからとじいちゃんがいつも車で迎えにきてくれました。
活発でお転婆な私は小学生の頃兄と同じ野球部に入りましたが、
コーチをしていたじいちゃんに「女の子が日焼けしちゃダメだ」と1週間で退部させられたこともありました(笑)
大晦日には歩いて初詣に行くのが祖父の毎年の恒例。
初めは兄も付いてきていたものの、そのうち友達と過ごすように。
一人で出かけるじいちゃんが可哀想で、特に行きたくもなかった初詣にじいちゃんを誘って2人で出かけるのが恒例になりました。
高校生になると私は電車で1時間の距離の高校に通い出しました。
けれども、お腹が痛くなってすぐに電車を降りてしまうお腹の弱い私。
そんな時はじいちゃんが毎回駅まで迎えにきて、高校まで車で連れて行く。こんな面倒事も面倒とも感じずにしてくれました。
バージンロードを父親の代わりに一緒に歩いてとお願いしたのは私。
いつしか耳の遠いじいちゃんとの会話も減っていき、実家に帰っても話をすることも減りました。
けれども子供好きのじいちゃんはいつもニコニコしているせいか、黙っているだけでどんな子供も寄ってくる。もちろん私の息子たちも。
そんなじいちゃんはジャンクなフードが大好き(笑)
昨日送られてきたお供物の写真です😅
『ケンタッキー、マック、ピザ、コーヒーの写真』
(母から全ての媒体の写真の削除要請がきましたので写真は削除させていただきました😣
どうやらお供物やお葬式の写真を残していると天国に行けないそうです。じいちゃんがケンタッキー食べられないといけないので写真削除しますね🍗)
入院してから食べられなかったもんね。
これで思う存分食べられるね😊
去年の2月、高齢の祖父母に何もしてあげられない私は2人が大好きなソフトクリームを食べに連れ出しました。
あの頃はもう自覚もなく体調が良くなかったのでしょう。
私に手を借りながら店を歩き、ベンチに座って祖父母二人で食べていました。
連れて行けて良かったな。
最後は入院先のベッドの上だったけれど、私のこと分かってなかったけれど会えて良かったな。
私は泣くことが苦手です。
けれどこれを書きながら涙が止まりません。
きっと今日1日はずっとこんな調子でしょう。
困ったな。
じいちゃん、どうもありがとう。
大事に大事に育ててくれてどうもありがとう。
私も大事に子供達を育てるよ。
見守っててね!😊
最後までお読みいただきありがとうございました!