先日、こんな記事を書きまして、
mendokusainoyada.hatenablog.com
色んな方々から
「高齢者のできるを奪わないこと」の大切さを教えていただきました。
表面的なことしか見ることの出来ていない自分を反省し、
この事についてしばらく考えていました。
先程の記事は実家に帰る新幹線の中で何の気なく書いたものです。
そして今、自宅に戻る新幹線の中でこの記事を書いています。
今回実家に帰ったのは母の骨折、そしてオペ後退院してからの色々な事の手伝いが目的です。
そして、入院中の祖母に会うため。
冒頭の記事を書いたのは日曜日。
祖母に会ったのは昨日、月曜日。
祖母の入院の理由を細かく書くつもりはありませんが、ありがたい事にこのまま順調であれば一旦退院できる可能性があるかもしれないと、病院の看護師さんや担当医の先生から伺いました。
ただ、その話を聞いている母を横で見ていますと、その話に対してまるで脳みそのシャッターを下ろすかのように、どんどんと俯いていきます。
なぜか。
自分の鬱と怪我と体調でいっぱいいっぱいだからです。
母は尋ねます。
「まともに歩けないのに退院ができるんですか?」と。
「いやいや、ちゃんとご自分でおトイレも行かれますよ」と看護師さん。
こんな会話をしていると、もうほとんど耳の聞こえない祖母が話が聞こえたのか聞こえていないのかお手洗いに行きたがりました。
私と母は手を差し伸べ、お手洗いに行かせようと動きます。
けれど、ここで頭によぎりました。
「高齢者のできるを奪わない」
さっき看護師さんは、ここ最近は1人で祖母はお手洗いに行けると言っていました。
祖母に聞いても「行けるよ」と答えます。
ベッドから立ち上がろうとするのを手伝う手を引っ込め、祖母が手すりを持って自分で立ち上がるのを見守りました。
祖母は病室の目の前のお手洗いまで手すりも持たずに歩きます。
私は横に付き添い、手は出さない。
お手洗いで排泄を済ませ、後ろのレバーを小柄な祖母が力一杯グイッと押す。
洗面台で手を洗う。
病室に戻ってベッドに腰掛ける。
私は一切手を出しませんでした。
「高齢者のできるを奪わない」ために。
帰る車内で母は不安をこぼしました。
「あんなに弱ったばあちゃんを家で見るなんて無理。トイレも行けないのに。」と。
自力でお手洗いに行ったのを見ていたのに、です。
そんな母に話しました。
「この前ね、、、」とブログに書いた話を『ママ友』相手に話をした事にして。
「私はこんな風に表面しか見てなかったのかもしれない。ママ友からは『人それぞれ事情があり、高齢者を見守り、出来る事を奪わないようにしていたのかもしれないよ。』と教えて貰って気付く事ができた」ということを話しました。
そして、
手を差し伸べる事が全てではない。
『手を差し伸べる事が出来ないから無理』なのではなく、
祖母自身が出来る事を出来るまでやってもらい、それを見守る気持ちを持つことも大切なのではないか、という事を伝えました。
昔から実家の中では『重い喘息を患う体の弱い祖母はいつも家の中で手を差し伸べられる存在』であり、『弱い立場の人』だと思って過ごしてきました。
何かあるたびに、祖母は守られ、必ず家族の誰かから手を差し伸べられてきた。
母もそれが当たり前だと思っていたし、それを子供である私達にも教えてきました。
ですから先日の記事に書いた事が私の中ではあまりに当たり前だったのです。
けれど今回の一連の事をきっかけに、これまでは
もしかしたら転けてしまうかもしれない、怪我をするかもしれないと祖母を想うあまり、簡単に手を貸していた事が本当は祖母1人で10割出来る事も私たちのせいで5割にさせていたのかもしれない。
そんな風に思い至りました。
病院から出る時、祖母はおちゃらけた様子で手を振り足を振り(笑)見送ってくれました。
けれど、私の目に映る祖母はこんなにも明るく振る舞っていても痩せ細って随分と弱って見えます。
恐らく明日にでもまた急変という状態になってもおかしくない。
私が会うのはこれが最後になるかもしれない。
そんな祖母はお見舞い中、私の訪問に涙を流して喜んでくれましたが、落ち着けば数ヶ月ぶりに帰った私よりも母のことばかり見つめていました。
私よりも母が心配でたまらないのです。
きっとこんな娘を置いては簡単に死ねない、と思っているのでしょう。
この歳で何度も峠を乗り越えて、自力で食事も排泄も出来るようになるまでに回復するパワーはきっと精神疾患を患う娘が心配だからこそなのだろうと思います。
祖母も、私も兄も、叔母も、母も、
それぞれがお互いに「お互いのできることを奪わない」関わり方を学ぶべきだな、と改めて感じた日となりました。
軽々しい感想を述べた事で気分を害された方々に対し、心から反省いたしております。
同時に、この歳になっても改めて学ぶ機会を与えてくださった事に感謝申し上げます。
冒頭の記事は削除はいたしませんし、書き換えることもいたしません。
学びと反省と成長を記録としてそのまま残しておきたいと今のところ考えております。
最後まで読んでいただき、どうもありがとうございました😊