ハピチわブログ

面倒くさがり屋の主婦です。チワワと楽しいことをたくさんしたい!そんなブログです。

子離れと親離れ。母と娘の関係性に悩む。オンラインカウンセリングという選択肢

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こんにちは。

面倒くさがりの主婦です。

日々、苦手な家事に奮闘しながら生活しています。

 

 

この記事ではメンタルのオンラインカウンセリングを受けた時の感想と共に、その必要性や受けた前後の心の変化について記事にしています。

長いです。

ご興味のない方は是非スルーしてくださいね☺️

 

 

あまり重い話とか書きたくないな、って気持ちはあるのですが・・・

 

ここ最近色んなことがドドドッと押し寄せてきてます。

そこで思い出されるあんなことやこんなこと。

 

どうしてこの話をするかっていうと、1番は自分の気持ちの整理のため。

次に同じことで苦しんでる人にちょこっとだけでも届いてほしいから。

(自分が一番苦しい人間だなんて思っていませんが、「私だけじゃないんだ」って思えることは心を軽くしてくれるからです)

 

 

 

 

 

母について

以前、こんな記事を書きました。

mendokusainoyada.hatenablog.com

 

 

この記事でもなんとなくご理解いただけるかと思いますが、母はずっと精神疾患を患ってます。

それは年を重ねても相変わらず。

 

去年の年末に祖父が亡くなり、今は祖母も体調が芳しくない。

祖母が亡くなったら、母の一人暮らしが始まります。

祖父母のもとに生まれ育った母は結婚後初めて実家を出ました。

そして3年ほど父と私たちと暮らした後母方の実家で同居開始。

その後父の浮気が発覚。

離婚後、家族全員での引っ越しなども経験しつつ約40年間祖父母と暮らしています。

間の3年を除けば、合計60年以上は祖父母と暮らしていることになります。

 

そしてここにきて初めての一人暮らしになりそうな状況。

鬱を患い、体も老化や骨の変形などで元気に動けない。

体よりも何よりも、精神的な部分で働きに出られない。

そんな日常。

 

 

親って、どうして何でもかんでも娘に話してくるんでしょうか。

なぜ息子には話さないのでしょうか。

だから一身にネガティブなことを引き受けなければならなくなる。

 

 

母と娘(私)の関係性

冒頭の記事にも書いてあるような環境で育ってきた私は、実は私自身が親に依存していました。

あんな風な考えを持って生活してきたら親子の関係性が歪んで当然かもしれません。

 

具体的には、

独身時代は仕事の愚痴も毎日メールし、

彼氏ができればどんな人かを逐一報告。

喧嘩をすれば相談し、

親が喜んでくれる人を、と無意識に選ぶ。

不細工だ、などと冗談半分でも批判されればすごく悪いことをしている気分になる。

仕事も異性との関係も友達との関係も全て母に報告し、母がどう思うかを聞く。

そして母が思う通りに選択する、これが正しいと思っていました。

 

 

実家を優先できないことへの罪悪感

私の夫を母や祖父母は大いに気に入ってくれました。

自慢の夫です。

(夫に関しては、親が気に入ってくれたから結婚したわけではないことを強くお伝えします。

気に入ってくれたのはたまたまです。

細かく言えば、何度か傷付く恋愛を経験した後、男運の悪い母が好きな男性像とは真逆の人間性の人と結婚すべきだ、と考え始めたタイミングで夫と知り合いました。

夫は驚くほどに優しく、責任感があり、私が子供の頃から母のそばで見てきた男の人には一人もいなかったタイプの男性でした。

大事にされるってこういうことなんだな、と初めて夫に教えてもらったと思っています。

だからなのか、正直夫は母と合わないことが多いです。

けれど、そんなことにも文句を言わせられないほどに良い夫です。

母が私を羨むくらいに。)

 

そんな夫と結婚した私は、子供が幼いうちは度々実家に帰らせてもらっていました。

「祖父母や母に孫を見せることが親孝行」だという想いで、夫に甘えて一度帰れば1〜2週間滞在。

これを年に2回。

 

 

今考えれば、私は実家離れができていなかった子供だったんです。

でもあの頃は気付きませんでした。

 

そのうち子供が幼稚園に入り、お金も時間もそれなりに必要になってくると、長く帰ることを夫から咎められることが増えてきました。

当たり前です。

私が不在の間夫は一人で仕事と家事を「不在の私たちのために」こなすわけですから。

 

なのに私は夫の考えが理解できませんでした。

要は、『私が実家を優先するのは当たり前の権利だ』と思い込んでいたから。

そこにはきちんと理由があります。

帰らない=母や祖父母がガッカリする。

これだけ。

 

けれど、この『ガッカリさせる』ことへの病んでしまう程の罪悪感をご理解いただけるでしょうか?

これまで私は自分の想いをほとんど母に捧げてきました。

一瞬でも元気になってくれることを期待してそう接して生きてきたからです。

 

幼い頃から「祖父母を悲しませてはいけない。」と言われ続けてもきました。

(これは母自身も親へ依存していたからだと思います。話に聞くと結構な経験をしてきている様でしたので母自身が祖父母、特に祖母を依存し、そして特別過保護に接していました。母と祖母は共依存の関係性なのだと思います)

共依存:特定の相手に過剰に依存し、その関係に囚われている状態

 

 

その結果、実家に帰らない=とんでもなく親不孝なことをしている

という構図が私の中に成り立っていたんです。

(ここで言う実家に帰らないというのは、年に2回が1回に減り、1週間という期間が3日になった程度のことです)

 

 

母を「毒親」に認定する

そして、このことは実際に母を更に悪化させる結果にもなっています。

「寂しい」「会いたい」「生きていけない」「もういい、死ぬ。」

こんなことを言うために毎日毎日電話がきました。

結局こうなる。

子供の頃から毎度のことです。

 

 

なんとか丸く収めて理解してもらいたい私は毎度丁寧に丁寧に説明します。

けれども依然心のどこかで「自分は親不孝ものだ」という気持ちが拭えないままでした。

 

 

苦しかったです。すごく。

夫との関係性が拗れることも多々ありました。

 

 

苦しさに耐えきれなくなった私はいつしか毒親の本ばかり探し始めていました。

それまではどこかで母は「毒親」とは言わないだろうと思っていました。

理由はリンク先の記事に書いたとおりです。

けれど実際問題、母が苦しい。

 

勇気を出して買った本がこれです。

 

子供の目を避け、パントリーにこもって泣きながら読みました。

 

もう何て書いてあったか思い出せません。

そして、思い出すために読み直す行動すらしたくありません。

 

けれど、とにかく

『私は全く悪くない』ということは理解できました。

 

反抗して良いんだ。

断って良いんだ。

一番大事なものを優先して良いんだ。

母は良い人。けれどやっぱり『毒』として感じて良い状態だったんだ。

 

 

このことが強く強く心に響き、あの頃の私の支えとなりました。

 

 

しっかりと優先順位が変わった

そこからはとにかく「自分の家族」ということを主張しました。

私は嫁に行った身だ。だから実家を優先することはできない。

(時代錯誤かもしれませんが、母には効くと思ってました)

母と夫が困っていたら、間違いなく私は夫を守るし子供を守る。

と言い続けてきました。

 

 

 

そして、あれから約10年。

今では夫の考えが正しかったと心から感じています。

あの時、言葉足らずで横暴に見えた夫の態度も、母が「普通ではない」ということに気付かせてくれるきっかけになったからです。

 

もちろん気付くのには時間がかかりました。

けれども、自分が子供を育てていくにつれ感じる「マジで母さんおかしいやん状態」

私の母親は『毒』でした。

今では夫に感謝しています。

 

 

もうダメだ

数年前に、実家に帰りました。

母が泣いて泣いて「会いたい」と訴えるから。

(年1で帰っていましたよ。その上で更に帰れ、の願いです。この状況になってしまうのは毎回自分の彼氏や色んなことでの精神的症状の現れです)

祖母も母のためになんとかしたいと私たちを呼び寄せました。

正直それも簡単なことではありませんでした。

 

どうにか実家に帰ったは良いものの一刻も早く夫のもとに戻りたかった。

苦しかった。

実家ってこんなに苦しくて辛い場所だったっけ?と思いました。

 

帰りの新幹線の中で母に滞在中お世話になったお礼のLINEを送りました。

すると母から

「こんな寂しい思いをするくらいなら、もう帰って来なくていい」

と返事が。

もう何かがプツっと切れる音がしました。

あまりに自分勝手すぎる。

もう無理だ、と。

 

「しばらく連絡をしない」と電話をしました。

わざわざ連絡をしたのは、私が連絡を勝手に途絶えさせたら心配のあまり勝手に家まで押しかけかねないからです。

「死にたいなら勝手に死んでほしい。」と伝えました。

その後、祖母から泣きながら許してやってくれと電話が何度かきましたが、放っておきました。

ここで曲げたら元通りだと思ったからです。

物理的にでも距離があって本当に良かった。

 

けれど、私はそんな状況が苦しくて毎日泣いていました。

罪悪感で押しつぶされそうだったからです。

苦しくて苦しくて苦しいのに、母や祖父母が心配でどうしようもなくて、どうにかしないといけないのにできない。

 

やっぱり私の親離れが完璧にはできていなかったのでしょう。

 

 

 

これではダメだ、と思いました。

私は鬱の母にこれだけ苦しんできたんです。

私が同じようになるわけには絶対にいかない。

じゃぁ、どうする。と考えた時に『カウンセリングを受けてみたい』と思いました。

 

ただ、田舎ですしどこでバレるか分からない。

何となく自分のこんな面を曝け出すことに抵抗がある。

そして、実家の余計なことで夫を巻き込みたくないので私がこんなにも悩んでいるということを打ち明けられない。

 

 

毎日死にたいと思っていました。

苦しくて消えたいと思っていました。

 

 

オンラインカウンセリングという選択肢

よくある命の相談みたいなものにいくつかLINEやメールをしてみたものの一切返事は来ない

(一時期そういうことをニュースで読みましたが、本当にどこからも返事はありませんでした)

 

私は専業主婦です。

こんな自分だけのことにお金も使いたくなかった。

けれど、自分から何かを変えないと何も変わらないと思いました。

意を決して夫に内緒でお金を払ってオンライン上のカウンセリングを受けてみることにしました。

メールのやり取り3往復で4500円。

 

 

ドキドキしながらもカウンセラーの方の経歴をじっくり見て選びました。

女性の50代の方でした。

メールは3往復のみ。それ以上お金を出すつもりはありませんでした。

一通一通渾身のメールを送りました。

事情を伝えるためにすごく長いメールです。

担当の方は丁寧に答えてくださいました。

 

 

カウンセリングを受けて

結果的なことをお話ししますと、丁寧であり寄り添ってくださる。

そして何よりも、今までずっと心に秘めていたことを文字に書き起こす、という行動自体がとても有意義なものになります。

人に伝えるために推考することで自分の考えがまとまりますからね。

オンラインカウンセリングはメールだけでなく、ビデオカウンセリングなど様々な方法があります。

恐らく、どの方法を選んでも、『人に伝わるように自分の外へ想いを吐き出す』こと自体が、心を軽くしてくれる結果につながると思います。

 

 

ここからは担当の方からのメールの返信内容について正直な想いをお伝えします。

 

メールでのやり取り。それだけでも私は救われた

メールの内容としては、医療職をしていた私には頭のどこかで「ありきたりなテンプレ」と思っているところがありました。

けれど、一つ救われた言葉がありました。

もうこれ以降はこの言葉に支えられていると言っても過言ではない言葉。

 

「目標は
お母様も
いざとなれば自分で何とかすると言うことを
信じること。

「自分が可愛そう。悲劇のヒロイン」の人生を、お母様自身が選んで来られたのです。
長い人生、何とかやって来られた人なのです。

○○様(私)が隣にいなくても
大丈夫。」

 

という言葉です。

 

 

ずっと母の助けになれない自分を責めてきました。

母のためになること以外全てダメなことだと思ってきました。

 

 

そんな私にはとてつもなく大きな言葉でした。

「母の強さを信じる」

これ、母を犠牲にしてもいなければ我慢もさせていない。

更に「母を信じる」という母に対するポジティブな感情を母にも私にも持たせてくれる言葉です。

 

 

スッと心が軽くなりました。

3往復中の最後のメールでした。

 

 

そして、同じメールでこんなこともおっしゃっていました。

「お母様が、不安不安と言いながら変らないで居られるのは
その方が居心地が良いからです。○○様が不安を埋めてくれるから。

実は○○様にとってもそうだったかもしれません。
すごく嫌でそこから出たかったのに
そこに居るとお母様の愛情を感じられる。

同じエリアにいる限り
この関係は続いて行きます。」

と。

 

やはり私は親離れできていなかったんだなと改めて気付きました。

共依存の状態でした。

 

 

カウンセリング後の変化

あれからカウンセリングは受けていません。

私は母から手を離すことを決めました。

「できないことはできない。やりたくないことはやらない。」と決めて。

 

 

母は、根は良い人間なんです。

子供想いの優しい人なんです。

ちょっと人に依存しやすく周りが見えなくなるだけ。

だから正直に伝えました。

「苦しい」と。

「私が鬱になるわけにはいかない。だから自分を守ります。

ある人に『母を信じろ』と言われた。だから私は信じたい。

この想いをどうか理解してほしい。」と。

 

きっとこんな風に母に話してしまうのは娘としての母への甘えです。

けれど、私だって甘えたい。

 

 

母はやはり泣いていました。

謝っていました。

謝罪なんていらないんです。

許せるものじゃないから。

 

 

 

とにかく、自分では「やらない」と言った以上、娘ですから責任は果たしたい。

市役所の福祉課にメールをしました。

口頭で想いを伝える自信がなかったからです。

1時間せずに、すぐにメールが届きました。

あれだけ誰も助けてくれないと思っていた私は拍子抜けです。

そこからはあれよあれよと包括センターの方が入り、訪問看護が決まり、母が動けないときにはまずは間に入ってくださり、と私への電話や負担がグッと減っています。

 

 

今では死にたいと思うほどに悩むことはあまりありません。

怪しい時もあるけれど、「母を信じる」という言葉を呪文のように頭の中で唱えています。

 

 

私は今、親離れができていると感じています。

 

 

ただ、先ほども言いましたように、ここにきて母の精神状態が荒れる出来事が立て続けに起こっている状況。

正直怖いです。

 

でも負けてはいけない、子供達のために。

それが側から見て冷たいと思われようと、残忍だと言われようと、これが自分と家族を守る術なのだから仕方がない。

私は何度も母に「家族を守るため」だと言い続けています。

少しずつではありますが、その気持ちを理解し、その「家族」の中に母自身が入れない理由も理解してきてくれていると感じています。

 

 

母への想い

遠くない未来、祖母が亡くなり母は一人になる。

これをきっかけに一人でいることの自由を知ってほしい。

子離れしてほしい。

自立して欲しい。

最後のチャンスだと気付いて欲しい。

 

 

どうか信じていたいと思います。

一度で良いから「母が好き」だと思いたい。

母の手を嫌悪感なく握りたい。

だって私の母ですから。

 

 

 

元気な母といつか温泉旅行に行けますように。

 

 

 

 

 

 

私が利用したカウンセリングサイトはこちらです☺️

www.uraraka-soudan.com

 

 

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最後までお読みいただきありがとうございました!