ハピチわブログ

面倒くさがり屋の主婦です。チワワと楽しいことをたくさんしたい!そんなブログです。

誰かの前の自分 〜ドラマいちばん好きな花〜

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こんにちは。

面倒くさがりの主婦です。

日々、苦手な家事に奮闘しながら生活しています。

 

 

 

ちょっと今日は真面目な感じで。

 

 

 

『誰かの前の自分ってあるよね。嘘の顔ということじゃなくて。』

ドラマ「いちばんすきな花」第8話のセリフです。

 

このセリフと同じような事言ったことあります。

 

 

私は母に言いました。

私の母は友達がいません。

ずっと水商売をしてきて、何人か彼氏は出来ても友達と呼べる人がいたかどうか。

私たちが子供だったあの頃、母の友達だと思っていた人達は今は家庭に入る、または昼の仕事に戻るなりして人生を過ごしています。

逆にいつまでも地に足付かないような方々はいまだにフラフラとされているようですが、

どれもほとんどが噂で聞く程度のこと。

結局今は誰とも母は連絡を取っていないところを見ると男も女も関係なく、みんながあの時あの場所限りの関係性だったんだなと私は思います。

 

バブルが弾けた後もギリギリでやってきた水商売を辞めて昼の仕事を始めても、鬱病も相まって他のスタッフの方々と何となく感覚が合わない。そんな被害妄想的思考で仕事も上手くいかない。

あれだけ自分の店を続けてきても、この頃になるとしょっちゅう仕事を辞めて探して辞めて、を繰り返していました。

 

 

そんな感じで生きてきた母には気軽に話せる友達がいません。

だから、全てのことを私に話します。

兄もいましたが、女である私の方が「そうだよね」「わかるよ」って同意してくれるから私に話すんです。

「兄ちゃん(私の兄のこと)に話してもどうせ分かんないから」と。

 

今考えると、それ小学生の私に言う?っていう大人の人間関係の話も余裕でしていました。

 

その結果なのかなんなのか、少し私は人間関係に潔癖なところがあると自覚しています。真面目過ぎるというか。お堅いというか。

 

 

だけど、私にはちゃんと友達はいます。結婚もしてご近所付き合いもしているし、仕事をしている時も面倒事はあっても特に仕事に支障なく流せました。

ある意味、「流す力」や「いろんな人がいるよね」って思える力は育ったのかもしれません。

 

 

で、冒頭のセリフ。

母がなんでもかんでも話す中身はほとんどがネガティヴな話。

私自身も大人になればなるほどそんな母を流せなくなりました。

柔軟性が無くなるからでしょうか。

他のストレスが増えるから余裕が無くなるからでしょうか。

それとも社会を知ったからでしょうか。

自分が母になったからでしょうか。

 

母が直接私のストレスになるんです。

 

 

たまらず

「私だって話してないだけで大変なことはある。辛くて悲しい事もある。(理由はほぼ母のこと)

だけどそんなのいちいち話してなんていないからね。(理由が母だからそもそも言えない)」

 

と言うと、

「何?あんたも辛いの?何があったの?

夫婦仲が悪いの?何があるの?」

とあたかも自分が辛いかのように泣きながらすかさず聞いてくる。

もうそれまでの自分のネガティヴ話なんかそっちのけ。

この辺は私の事が大事であることには変わりないのだろうという変な愛情は感じますが。

 

 

その時に伝えた言葉です。

「それぞれに見せる顔があるし、それぞれに話す内容がある。

これは母さんに話そう。でもこれはママ友に。これは別の友人に、っていう風に使い分けというか、それぞれに対するキャラと立場と顔を使い分けてる。

でもそれが普通だと思う。」

 

ママ友にとって私はママ友だし、独身時代からの友人の前では家庭を持ってない1人の私だし、夫の前では奥さんだし、子供の前では母親だし。

みんなそういう立場や役割を持った上で人と関わっていると私は常々思っているからです。(整くんではありません🧣)

 

「だから私が全部話さないからって踏み込んでこないで。私は私なりの方法で乗り越えたり解決したりしてきてるんだから。

だから母さんも〜〜、」

というような内容で話しました。

どうも母にはしっくり来なかったようですが☹️

 

母は母であり、友人ではない。

母がどれだけ娘を近くに感じ、娘自身も母を友人のように近くに感じていたとしても、子供と大人は決定的に違う。

社会を知った大人が、何も知らない子供に全てを話す事は間違えだ、と私は考えています。

私は子供だった、そのことを忘れて結果的に母は私を友達のような位置に置き、でも家族だから娘だからどんなに自分が情けないことをしたとしても離れていかない安心感に甘え、「友達親子」の関係に甘えすぎていたんだと思います。

私がなんでも許してきた結果なのかもしれませんが、母は大人であり親だった。そこは私ではなく母自身が間違いだということに気付くべきだったと思っています。

最近「友達親子」という言葉も肯定的に使われていることもありますが、相手はあくまで子供だ、ということを親は忘れてはいけないと私は思います。

そうじゃないといつか歪みが出てくる時がきます。親は親、子供は子供です。

 

 

 

ドラマの話に戻ります。

私の話はこのドラマのシチュエーションとは全く違うので、使い方が違うかもしれませんが、

 

 

『人にはそれぞれ誰かの前の自分っていうのがあって、それはそれぞれ嘘の顔っていう事ではない。』

というセリフに

前回同様、このドラマを作った方に脳みそを覗かれているような気持ちになりました。

友人の前の自分を夫に見せたくないし、夫の前の顔を友人や親にあまり見せたくない。嫌というよりも恥ずかしいというか、キャラの作り方に困るというか。

 

 

 

このドラマ録画しておけば良かったな。

またゆっくり観たいな。

 

 

 

あ、でも、

私の友人から

「みんなの美鳥ちゃんなのに一気に会わないとか意味が分かんない。一気に会った方が楽じゃん!

なんで?わかる?この考え方。」

とLINEが来ました😅

 

 

もちろん私はなんにも言ってませんよ。

向こうから直接私に質問してきただけ。

だけど、このセリフが印象的だったのでスマホにメモっていた私にとってはピンポイントだな、と多少ニヤつきました😊

 

この子と話すと「なぜ私はこういう思考をするのか」を整える良い機会になるんですよね。

結局のところ、

その子が言うには高校時代の同級生とか一気に集まっても楽しいじゃん、ということらしいです。

で、考えました。私もそうだな、と。

では何が違うのか。

高校の友人はそもそも一対一ではなくその人数で関係性を築いてきた人間関係なんじゃないの?と。

だから一気に集まっても別に困ることはない。だけど、一対一で始まった関係は一対一じゃないと感情が難しい

こんな風に思考がまとまりました。

 

 

そしてなるほど、やっぱりこういう感覚の子もいるよねって改めて気付きました。

なぜかというと、

あのシーンを観た時に、

このセリフになんのクエスチョンも浮かばず「あ〜分かる分かる、そうだよね」ってなる似たような人間ばかり集まるコミュニティとか、ファンタジー過ぎてドラマならではだなと思っていたから😅

 

 

それと、いつもほぼ一週遅れで観てしまっている私は、友人にいつも感想が遅いと言われましたので気をつけたいと思います笑

 

次回も楽しみです😊

あ、もう今日ですか。そうですか。笑

 

 

 

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