こんにちは。
面倒くさがりの主婦です。
日々、苦手な家事に奮闘しながら生活しています。
ちょっと長いです(^◇^;)
今回の記事は常々考えていて、自分の中でくすぶっていたことを言語化してみたかった記事です。
長ぇ〜よ!
疲れたよ!
って方はスルーしてください(笑)
先日ずんださんの記事を読んで改めて言語化してみようと思うことがありました。
私は、どちらかというと「可愛い可愛い」と育てられてきた方だと思います。
ただ、ある時から気付きました。
「可愛い」と「大事」の裏側にいつも「親の私たちにとって」という部分が付くことを。
いつしか親を悲しませないこと、親が喜ぶこと、親のために優しさを見せること、そういうようなことばかり考えるようになりました。
理由は以下の記事の通り。
mendokusainoyada.hatenablog.com
要は、基本的に愛情をくれるのは伝わってるけれど、どこかで自分(親自身)が一番可愛いということが滲み出ている。
私たちはそんな親を守っている存在で、いつしか依存されてしまった、という話です。
ずんださんが記事の中で書かれていますが、
『「可愛い可愛い」と、家を出ていったら寂しいと育てた子に限って家を出て自立している。』
という部分。
私の場合は結果的にこうなりました。
mendokusainoyada.hatenablog.com
さて、改めて私の思いを言語化してみます。
ずんださんとは家庭の環境や事情が違いますのでずんださんと比較して、というようなことでは一切ありません。
あくまでも記事を読んだことによって、私が常々感じていることを言語化してみようと思っただけです☺️
私は冷めた冷たい母親です。
自覚しています。
優しい口調で優しいことを優しく言えないからです。
長男からも「もう少し優しくして欲しい」と言われます。
私が子供たちを純粋に可愛さを自覚するのは寝てる時と離れている時です。
期待はなんだかんだきっとしているし、
(別に賢くなれとか、良い会社に入れとは思ってないけれど、環境が揃ってるんだから貴方達も努力してくださいよ。っていう期待と望みです😅)
押し付けがましくしたくないけれどつい口出しするし、
反抗期のムカつき加減も相待ってこちらの対応も冷たくなっている最中。
そんな私は自分が冷たい親だなと常々思っています。
子供達の行動を見ると粗ばかりが気になるし、男の子だからそんなに普段だってお喋りも多くありません。
怒り方も「叱る」というよりも長男に対しては間違いなく「1人の男」として怒ったりしています。
具体的に言うと、
先日長男が次男に対し、見ていてあまりに耐えかねるような意地悪なことをしていたんです。
その際にブチギレてしまったんです、私😅
叱っていません、あれは感情のまま実の息子に嫌悪感を露わにして怒ってしまったのです。
あのときの私の表情を見た長男の顔が忘れられません。
きっと傷つけてしまったと感じました。
「大好き」と言えない。
長男のことも次男のことも大切なんです。
ただ、なぜか「大好き」と言えない。
自分でも分かりません。
あまりに自分の生活に「大好き」と言う言葉が馴染みがないからかもしれません。
自分で言っていて歯が浮くようなセリフに感じてしまうから。
育児書などでは「子供には大好きだ、愛している、などとしっかり愛情を伝えましょう」と書いてあります。
子供が幼い頃は実行していました。
でも自然ではありません。
育児書に書いてあるからやらないといけない、と思って努力して行動していました。
ハグはしました。
これも多少努力が必要でしたが、ハグの必要性は大人になって知ったからです。
私はハグをされた記憶がありません。
日本人ですからほとんどの方に馴染みがあるわけではないかもしれませんが、
なんというか、
子供の頃から不必要に人と肌が触れ合うのが苦手なのです。
(なんで看護師という職業を選んだのか謎ですね😅)
母親や祖父母と手を繋ぐのは小学校4年生の辺りからすでに拒否反応。
女友達とベタベタしたり、手を繋いでおトイレに、なんてことも心の底から拒否反応。
正直なところ今でも年老いた母や祖母の手を握ることに拒否反応を抱いています。
そんな冷めた私がハグの重要性に気付いたのは恥ずかしながら夫からのハグです。
愛情、体温、香り。
ハグってこんなにも色んなものが身体中に伝わるのか、と気付きました。
ですから子供達にはできるだけハグをするように努力(これも努力😅)してきたつもりです。
きっと冷めてるんだと思います。
子供がかわいそう、というような意見をお持ちの方もいらっしゃると思います。
子供には自立して家を出て欲しい。
ずんださんもおっしゃっていますが、
是非子供達には外に出ていって欲しいと思っています。
これは私自身が外の世界を見ることで自分の世界が広がったことを知っているからでもありますが、
私は夫と2人で過ごしたいし、自分の時間をもっと持ちたいし、
今、子供達が大きくなって行動範囲が広がり、
友人とだけで色々と行動してくれることが有り難くて有り難くて(笑)
「自立」した母親でいたい。
私は、重荷になるような母親にはなりたくありません。
私の友人の母親たちはみんなそれぞれに趣味や仕事を持ち、
それぞれの友人同士で旅行や遠出をする。
そこには「自立」した母親たちが見えるのです。
私はそんな母親が欲しかった。
上の記事にも書きましたが、
昔は寂しいとも子供心に感じていました。
けれどいざ自分が大人になり自立した立場になると
今度は母親に「自立」を求めるようになりました。
これはある意味自然な流れなのではないでしょうか。
距離感を大事にしていたい。
私は私、子供は子供。
子供達には私たち親のことなんて放っといてくれて良いと思っています。
自分の人生を謳歌して欲しい。
親の心配や負担を感じることなく生きてほしい。
ですから無闇に「大好き」と心から言えないのかもしれません。
『敢えて、距離感を保っていたい』というのが正しいのかも。
子供と私の関係性はどうなのか??
子供と2人でいたって、特に困ることはありません。
それぞれがそれぞれのことをして過ごしますからね。
家族で出かけるのだって、美味しいお寿司には文句も言わずに付いてくる(笑)し、
旅行だって喜んで付いてきます。
基本的にはリビングに集うし、
ソファで寝っ転がって私の足が息子たちに触れていても特に避ける様子もない。
デザートを同じ食器でシェアしたり、
(でも次男は長男とのシェアは嫌がる😅)
同じ水筒を使うのだって全くもって拒否感を持たない息子たちは
きっと私のことは嫌いではないのでしょう。
でも、やっぱり子供たちには冷たい母親として映っているかもしれません。
私の『分かりにくい愛』は伝わっているのかな??
どうなんだろうな??
子供達も他の親に育てられた事がないから分からないですよね😓
申し訳ないな。
でも上手にできないんですよね。。
それでも私が1番に伝えたいことは・・・
歯が浮くような私に馴染みのないセリフ、「大好き」とはなかなか言えないけれど、
間違いなく言えるのは「何よりも大切」ということ。
「大好き」とはなかなか言えないけれど
「いつでもあなたたちの味方だ」とは伝えたい。
息子の反抗期、私の更年期(笑)、
色々なものが重なって悩んだ挙句、
どうにもならない思考になると、
最終的には「元気に生きてるだけで十分だな」という考えに至ります。
これは自分を慰めてるだけかもしれませんが、想いは何一つ間違いではありません。
子供達が世の中で1番大切です。
神や仏、悪魔、何にでも誓えます。
何かあったら必ず守りたいし、自分の命を犠牲にすることで子供が助かるなら一瞬も迷わずにそうします。
夫と子供に感じる違い
今回言語化してみて気付いた事があります。
『私は「心を預けて良い人」と思う人と触れ合うことには拒否感を感じない。』
ということ。
それは私にとっては夫です。
なぜ人と触れ合うことに拒否感や戸惑いを感じるのか、自分でもよく分かりません。
ただ、夫は何が違うのか、を考えてみてこういう考えが浮かんだだけ。
子供に心を預けられないのか?
ということではありません。
恐らく自分の中で夫と子供の位置付けが違うのです。
(夫と子供が同時に命の危機に晒されていたら、迷いなく子供を助けますよ(笑)
きっと夫も理解してくれるでしょう😅)
なんでしょうね、この現象。
最後に。
この記事には批判的な考えをお持ちの方もいらっしゃるかと思います。
申し訳ございません。
正直、他のブロガーさんのように忍耐強く子供に優しく向き合えるお母様方、
休日のたびに息子さんと時間を共にするお父様方、
心から尊敬し、
そして心の底から羨ましく感じております。
本当はそんな母親でありたいのです。
最後に、
ずんださん、勝手に言及させていただきました。
大変申し訳ございません。
不都合がありましたらすぐに削除させていただきます。
その際はぜひ教えてくださいm(_ _)m
最後までお読みいただきありがとうございました!